【圧倒的経験談】鹿児島から北海道まで約3,000km4ヶ月で歩いたことを振り返る

2014年5月11日、僕は鹿児島県志布志市から北海道にある日本最北端、宗谷岬へ歩き出した。

総歩行距離約3,000km。今までで1日に歩いた最高距離は中学生の野外学習で行う23kmの根性ウォーキングのみであり、まさに僕の人生史上最大の冒険だった。

今回は

  1. なぜ歩こうと思ったのか
  2. エピソード
  3. 辛かったこと、良かったこと

などについて5年前の記憶を遡りながら魂を込めて記事を書こうと思う。

これから日本を歩いて旅する人は少ないと思うが、こんな冒険もあるのだなと少しでも多くの人に認識してもらえたら幸いだ。

なぜ歩いたのか

高校生の時から日本各地を旅しており、バイクで分割日本一周を行っていたため、自転車で日本一周を考えていた。しかし当時の僕はお金が本当になかった。口座残高10万ほどで、この旅のために必死になってメルカリで売ったがいい自転車は高い。

きしころ
歩けば安いな?

とふと思い歩いて行う事を決意。ちなみに画像の通り荷物はショッピングカートに載せて運んでいくことにした。リュックに入れて背負うのはどう考えても辛かったので、ショッピングカート。

旅の資金は写真を売って確保

22歳の僕は「超意識高い系」の学生だった。振り返ると恥ずかしいぐらいに意識が高かった。

それでも何も行動しない意識高い系より行動力があったのが幸い。普通にバイトしながら名古屋駅で写真を売って必死にお金を貯めていた。

2014年5月に歩き始める前の2ヶ月ほどは海外にいたのだが、日本を歩くために帰国。本当は世界一周する予定だったのだが未だにアジアから出たことさえない。

世界一周は今でも相当なブームなのだが、とりわけ当時は世界一周してる人がちやほやされた時代だった。

今では

きしころ
社会とかどうでもいいから早くリタイヤしてえ

という超意識低い系へと進化した。

写真を売るという行為

もちろん路上で写真を売るという行為は公道上において違法であり、称賛されるものではない。しかしこの経験がなかったら今個人事業主として生計を立てれていないだろう。

きしころ
どうすれば売れるかな?

を必死に考えたし、0から1円を作るのがどれだけ大変かを学んだ。また、買ってくれやすい人の特徴や時間帯も分析し売上は順調に伸びていった。

最初の1枚が売れた時のことは鮮明に覚えている。ここが僕のビジネス原体験。大切な記憶。

日本縦断中も写真を売っていた

縦断当初はお金が無かったため、写真を売りながら歩いて行こうと思っていた。しかし、2日目。宮崎県都城市を中心とする大雨により写真が全て水没。僕は所持金1万円で放り出されてしまった。

お金はどうした?

売る写真が無くなったものの、大口叩いたからには旅を辞めるなんてできない。

きしころ
とりあえず行けるとこまで行くか

という僕の安易な考えは3日目で崩れる。

人がめちゃくちゃモノを恵んでくれるのだ。

新潟ではカニを(ちょっと困ったけど)

夜中にTwitterを見てきてくれた人も

ポップコーン1箱くれた鳥取の大学生3人元気かな

米は道中1回も買わなかったです。

とまあこんな感じに誰かが何かをくれる。旅中何も貰わなかった日はたったの1日だけなのだ。

こんな高級焼肉屋さんに連れてってくれた素敵なマダムもいた。まじで死ぬほど食った。

この後スーパーで。

マダム
必要な物買いな!
と仰ってくださったので、大量に缶詰とか買ってもらいました。

そしてモノだけじゃない。なんと現金をくれる人もいるのだ。

1万円を握手の中に入れてくれたおばちゃんの話

北海道で会ったおばちゃんは、僕の噂をキャンプ中に聞いていつか会いたいと思っていたらしい。そんな人に道の駅おこっぺ(北海道)で遭遇。

30分くらい世間はなしをした後、

おばちゃん
頑張りなね!

と握手をした瞬間、手の中に紙を感じたことがあった。

きしころ
この感じ、お金や!

と思ったものの

おばちゃん
何も言わずに受け取りな!

というおばちゃんのものすごいオーラを感じ、感謝を申し上げ頂いた。まじであのおばちゃん、カッコ良すぎる。

合計15万円ほどもらいました

旅中に恵んで頂いたお金(現金)は15万円。1ヶ月4万円ほど頂いていたので、それで旅の資金は捻出となりました。

不思議なことに

きしころ
お金尽きそう!やばい!

という時に何故かお金を頂けるんです。0になることはありませんでした。本当にありがとうございました。

毎日のスケジュール


スケジュールは過酷です。

午前4時 起床
午前4時半 お米を3合炊いて半分食べて残りはおにぎり
午前6時 出発
お昼の12時 おにぎり休憩
午後1時 歩きだす
午後6時 目的地到着。夜ご飯の米を炊く
午後7時〜8時 就寝

とまあ1日10時間程度は歩いてるんですね。大体40km歩くと1つ道の駅とかがあったんです。

歩かない日は20km。1日で最高歩行距離は63kmです。63km歩いた時はまじで死ぬかと思いました。キャンプ場に着いたらライダーさんのキャンプに参加させてもらえて助かった(北海道のクッチャロ湖畔キャンプ場)

比較的歩かない日に温泉入ったり体を休めてました。歩く日は思いっきり歩くスタイルの旅だったなと今思います。

ゴールした時に感じたもの

ゴールの土地、宗谷岬。

宗谷岬は日本最北端ということもあり、観光地となっている。しかも季節は夏。とんでもない人数が最北端のオブジェと写真を撮りたがっているのだ。

つまり、そんなとこに鹿児島から歩いて来たやつがいたら、めちゃくちゃ色々聞かれることになるんです。まじで「なんで歩いたの?」ってこの日で50回は聞かれたと思う。

ゴールの余韻に浸ることは全くできませんでした。夜はここで野宿したんですけど、自分のお金1円も使ってないし、本当に支えてくれた人のおかげだったので感謝の気持ちしかでてこず。泣くとかはなかったですね。やりきった感もあまりなかった。本当に感謝しか出てこなかったんです。

ゴール予定日の当日は天気もよく、朝稚内市を出発。途中稚内市から宗谷岬まで歩いているマレーシア人に遭遇し一緒に歩いたのを覚えている。

宗谷岬から稚内市は約30km。約7時間で到着。朝5時には出ていたので、昼過ぎに到着しラーメン食べたなあ。

割と早くゴールしてしまったので、ここから更に700kmくらい歩いて旅をしました。

歩いてて辛いこと

Aさん
歩いてて何が辛かった?

と聞かれることも多いのでここに書き記しておこう。

孤独

この「孤独」が圧倒的に辛いです。歩いてる時はほとんど話しかけられないから。

毎日10時間も誰とも話さすただ歩く。これが想像以上に精神を破壊してきます。めちゃくちゃ独り言言いながら歩いていたんだと思います。

止まると今度は話しかけられすぎる

大体寝るのは道の駅なんですが、車中泊している人も多いのでめちゃくちゃ話しかけられる。(嬉しいんだけどね)

大体夜の8時には寝て朝4時に起きて準備を始めるので、夜一緒に酒飲もうと言われると辛い。こっちの事情を分かってすぐ開放してくれる人ならいいが、本当に長い人は長かった。

餞別として大五郎の4Lの焼酎もらった時はまじで重くて捨てそうになりました。(ちゃんと飲んだよ)

ショッピングカートに適さない道の作り

当たり前なのだが公道はショッピングカートでの運行を予定して作っていない。なので時折上記の写真の様な道が出てくるのだ。

米や水、テントなどを積載したショッピングカートは30kgを越える。とても持てないのでこのような道がきたらこまめに荷物を運んだ後、ショッピングカートを無理やり持っていく。ちなみにここは新潟の国道8号。車の道は素晴らしいと話題になったがショッピングカートには最悪だった。

もちろん登りがあれば下りもある。写真の道は一生忘れることないだろな。

逆に割と適してる道もあります(北海道オロロンライン)

恐怖のトンネル

上記の様に歩行者専用のトンネルが用意されているなんてことはほぼあり得ない。そして恐ろしいことに多くの運転手がトンネル内に人が歩いてるなんて思わないのだ。

田舎のトンネルなら時速70km程度でぶっ放してくる運転手も多いので本当に怖かった。事故ってないのが不思議なレベル(危ないのは何回もあった)。

道中工事現場のおじさんに、着る反射板みたいなやつをもらってからかなり気づいてもらえるようになりました。必須。

日焼け

僕が歩いていたのは5月〜9月と、暑い時期。とにかく2014年は空梅雨で雨が全然降らなかった。となればやはり日焼けする。

こうなる。モンスターハンターのこんがり肉とか、ちくわとか言われました。

お風呂に入れない

きしころ
1日に使って良いのは500円くらいだな

と思っていたのでお風呂も3日に1回ぐらいなんですよ。お金がないのも理由なんですが、単純にお風呂に入ってる時間がないんです。1時間でも多く歩きたかった。

なので温泉は3日に1回ぐらいで入ってました。真夏の暑い日なんかは、歩いてる途中にある川とかで入ったこともありました。

歩いてて(やりきって)よかったこと

続いて歩いてて良かったことの紹介。辛かったことが全部吹き飛ぶレベルに良かったことの方が多いです。

辛いことが無くなった

もう人生でこの経験より精神も肉体も追い込まれることは無いでしょう。

仕事でちょっとミスった時なんか

きしころ
まあ歩くより余裕でしょ

と思える最強の経験値になったことです。歩いた経験に比べたらちょっとのミスや辛いことなんて辛いに入りません。圧倒的に追い込まれる経験を若いうちにしておくのはおすすめだと心から言えますね。

多くの出会い

福井県の道の駅「河野」で寝てた時夜中にバイク集団が来たんですよね。

小さい道の駅ですぐにテントが見つかって、

バイクの人
おい!こいつ北海道まで歩くらしいぞ!

みたいな声がめっちゃ聞こえてくるんですよ。まじで恐怖。テントの中からじゃどんな人か分からないので、刺激しないように挨拶したらめっちゃいい人でバイクの後ろに乗ってラーメン食べに行きました。

その後も富山まで会いに来てランチ奢ってくれたりとか、本当に助けられました。バイク集団。ありがとうございます。

北九州の公園で寝てた時はヤンキーに絡まれて最初はめっちゃ怒ってたんですけど、歩いてると知って寛容になりました。まじでボコボコにされるかと思った笑

福岡県八女市ではあまおうの農家さんに声をかけてもらい、お家に泊まらせてもらいました。この経験があって歩いた翌年には自分でも農業を始めることとなります。

出会いは数え切れないぐらいありました。本当に皆さんに感謝しています。

もう歩きたくない

ぶっちゃけ

きしころ
もう歩きたくないです笑

皆さんの想像以上にきついと思います。本当にきつい。思い出しても泣けてくるほどきついのでもうやりたくないです。多くの人に迷惑もかけたしね(野宿とか)

僕の旅の中でも「地獄」でした。ただし若い頃に地獄をみておくのはいい経験。生まれ変わってももう一度やりたいぐらいこの経験は生きています。

もし日本を自転車で一周していたり、貧乏旅をしていて名古屋を通るなら連絡ください。ご飯大量に食べさせてあげます。

連絡は僕のTwitterへ

皆さんは若い時の経験は今に生きていますか?僕ももっとたくさんの経験をして豊かに過ごしていきたいと思っています。

チャンスは貯金できない。「あの時やっておけばよかった」なんて事にならないようにドンドン挑戦していきましょう。