フリーランス農家のきしころ(@kagoshimato)です。
最初にはっきり言っておきましょう。人の為に生きると宣言すること無駄です。無駄です。僕は初対面の方に時々言われることがあります。「こんな情報あるブログよく書けますね!めっちゃ人のためになってるじゃないですか!」
いやいや、誰も人のために書いてないから。全部自分のためですからね。ブログだけじゃないですよ。猟師だって農家だって、全部自分のためにやってます。
「私の行動は世の中の人のためにやってます!」と大声で言う人は一切信用なりません。「嘘」をついているか、「自分のため」にやってることに気づいてないだけです。
今回は、「全部自分のため」と日々思い行動している僕が、
- なぜ「人のため」と言う人を信用しないか
を言語化していきます。人のために生きるか、自分のために生きるかは自由です。この記事を見た人が、人のために生きるならそれでいいんです。だってこの記事も自分のために書いてるんですから。
明日死ぬとしたら、今日なにする?
明日死ぬとしたら何する?
今までに何度この質問を受けてきたことでしょうか。中学生の時、授業でも話したことがあるような気がします。
「人のために働く」という人はこの質問になんと答えるのでしょう?それでもなお「人のために生きる」と答えるのでしょうか?
僕は明日死ぬとしたら大好きな人と好きなことをしたり、健康なら鹿を狩りに行きますね。大好きな人といたいのは、言うまでもなく自分のためです。
明日死ぬとしたら、自分のために最後の日を思う存分楽しんで死にたい。これが「僕が人のためにと言ってる人を一切信用しないたった1つの理由」です。
いずれ訪れる「死」を認識しているのに、自分のために生きない人は一切信用できません。「人のために生きている」ということを自分の価値として認めてしまった場合、「人がいなくなった場合」に自分の価値は無価値になるということです。それはとても悲しいこと。
誰もが自分のやりたいことをやりたいようにやれるこの時代に、自分のために生きないのは非常に悲しいことだと、僕は思います。
自分の人生を本気で生きていたら、人のためなんて言え無いと思うんですよね。そんなこと言ってる暇ないんですよ。
自分のために生きることの素晴らしさ
結果的に自分のために本気で生きることが他人のためになることはあります。
エジソンは人のために研究しまくって電球を開発したのでしょうか?違います。彼は自分の研究心を満たすために研究をし、結果的に電球を開発。人類の夜を照らし始めたのです。
アインシュタインは人のために相対性理論を記述したのでしょうか?違います。彼も自分の研究心、探究心を満たすために相対性理論を記述しました。結果、現在ではGPS通信などに使われています。皆さんが日頃使うグーグル・マップを実は支えているんですね。
人のためとかいってないで、自分のために自分の人生を生きよう。
自分の人生の主人公は自分自身。他人の人生に自分の人生を乗っけているほど人生は長くない。
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