自殺しないために逃げ道を作ることの重要性。頼むから死なないでくれ

フリーランス農家のきしころです。

どうやら友人が自殺したらしい。

友人を自殺で亡くすのは二人目だ。これを書いているとき、僕はタイにいるのだが、同じ様に4年前友人が自殺したときはタイにいたのを思い出す。

4年前の友人のラインは、今でも残っていることを思い出した。一言メッセージは下記の言葉が添えられている。

自殺は自殺の失敗

自殺は自殺の失敗だ。

どこかで聞いたか思い浮かべた言葉かも覚えていないが、心に留まっている。

誰も本気で死のうなんて思ったりしない。ほんとは誰かに止めてほしいし、抱きしめて欲しい。気づいて欲しい。

誰にも気付いてもらえなかったとき、人は自殺する。

本来自殺の成功とは、誰かに気づいてもらい生き延びることでは無いかと思ったりするのだ。言葉の綾だけど。

自殺とは、日本の社会においてここまで身近なものなのだろうか。1つの戦争で死ぬより人が死んでる状況だったりして。

逃げ道をいくつ作れるか

自殺しないために、逃げ道をいくつも作っておく必要があると思うんだ。

それは

なんでも話せる仲間だったり

仕事を辞めれる環境だったり

いきつけの喫茶店でもどこでもいい。より多くの逃げ道を知っているほど、逃げやすい。

日本の環境は自分が洗脳されやすいし、自己洗脳しやすい。

皆が同じ情報をもっているから、自分が特別だと思うことは少ないだろう。

でも、誰でも本来特別な存在。

テレビを付ければ知っている芸能人。ネットを見れば満員電車や社畜への風刺。誰もが同じ情報をもっている。

知らぬ間に自分を社会にあてはめやすいし、自分は特別だと思うこともなくなっていく。

今回自殺した友人は、かねてから共通の友人に相談していたらしい。僕への相談はなし。

それもそうだ。もう1年半ほど連絡をとっていないから。僕には来ないよね。

ところで、奥さんと子供どうすんだよ。

逃げたらダメだ、が人を殺す

逃げたらダメ。

これはよく言われることだと思う。

どちらかといえば僕は人生逃げまくってきた。逃げぐせがある分自殺なんて考えたことがないのだけど。

小学生の頃は6種類ぐらいのスポーツをやったし、就活もしたことないし、働きもせずにタイに来て毎日惰性で過ごしてた。

あぁ。そういえば4年前はダラダラしてたバンコクで友人の自殺を聞いたけど、今回はバリバリ仕事してるバンコクで友人の自殺を聞くのか。

僕の行動は友人の自殺に何の影響力も無いわけだから、どんどん自分の行動をしていこ。と思う自分もいる反面、気づけなかったか〜と都合よく友達面する僕も垣間見える。

人の死を通して人は成長するとはよく言ったものだな。と

安易に逃げれない状況を作るな

気軽な人生にしよう。

収入が少ないのに、35年ローンの家なんて買ってはいけないし、社会にインパクトを与える気も、稼ぐ気もないのに従業員を100人雇ってはいけない。

子供を育てる気がないのに子供を産んではいけない。つまるところ責任を持つな。といったところか。

しかし責任を持つと成長する人もいるから一概には言えない。と言われそうなクソ回答しか今はできない。

中学校でいじめられた人は、立ち向かえば幸せになるのか?

社会で殺されそうな人は、声を上げれば幸せになるのか?

答えはNOだ。

一刻も早くその場所から逃げることが得策だ。逃げた後、自分が居た場所がどうなるかなんてどうでもいい。自分は特別な存在なのだから。

死んだらおしまい。