ども。
きしころ(@kagoshimato)です。
早速本題に入ります。
え?!
本当に、
秀吉が刀狩りしたおかげで日本は銃社会を免れた。と
本当に思ってるんですか?
それ、間違ってますよ。
秀吉は銃砲を取り上げていない
結論から言っておきます。
秀吉は1588年の刀狩りで、百姓の銃砲は取り上げていません。
昨今も鳥獣の被害にあえぐ百姓には必須の道具として所持が認められていた事実があります。
詳しくはこの本に書いてあるのですが、
本来武器として輸入された銃は、必須の道具だったんですよ。
銃が許可制になったのは1662年からと記されています。(関東での記録)
百姓が銃を所持していたのなら、一揆は楽勝だったのではないか?
では百姓一揆って、楽勝だったのでは?という疑惑が生まれてきます。
平凡社『世界大百科事典18』初版 740頁)
しかし、上記絵の通り百姓は一揆において銃を使用してはいません。
銃という強烈な武器を持ちながら、使用していないのは何故か?
それは、
何度も言います。
百姓にとって銃はあくまで道具なんですよ。
武器ではないのです。
自分達の作物を荒らす鳥獣から守るための道具として存在していたのです。
なので、百姓一揆での猟銃使用はほとんど記されていません。
あくまでも銃は戦闘用具と捉えられてはいないのです。
現在の様な銃規制社会になったのはいつか?
これは意外と最近なのですが、
第二次世界大戦以降。
と言われています。
具体的な法律として、
1946年6月15日施行の銃砲等所持禁止令があげられると思います。
この令により、猟師以外の銃所持が禁止されます。
1950年11月30日に銃砲刀剣類等所持取締令の施行。
1958年に銃砲刀剣類等所持取締法が制定され、
1965年の改正で正式名称を銃砲刀剣類所持等取締法と改められ改正を繰り返し現在まで至っています。
GHQも百姓の猟銃を取り上げてはいません。
その後、昭和では三菱銀行人質事件、平成では記憶に新しい佐世保の銃乱射事件を気に銃所持がとても厳しくなっており、猟師の減少も問題になっています。
秀吉の功績は刀狩りによる身分区別
では秀吉の功績は?
となるのですが、
これは、
秀吉の刀狩で達成されたのは帯刀による身分区別。
と一言で終わらせます。
詳しくはこちら。
現在の日本で銃を所持するという事
現在日本で銃を所持する事は、法律的に可能です。
- 射撃競技
- 狩猟
- 有害駆除
上記いずれかの理由で申請すれば、精神や仕事に何か問題がない限り所持することができる。
しかし、圧倒的に所持者が少ない日本では銃所持者は怪奇の目で見られ、免許を取る際の申請書の数々や手数料などを考えれば割に合うものではないです
狩猟をしていると、
「お前動物殺してなんとも思わないの?お前が死ねよ!」
とか普通に言われることがあります。100%匿名ですね。
狩猟で大炎上したちはるさんの記事はこちら
コメント欄を見ると負のオーラがすごいです。
銃を持つ事の負担が大きいため、銃を辞める人が増えています。
猟師の減少により、鹿の生息数は上昇し、畑への被害額もとてつもない額になっています。
このような事情から銃規制の緩和を求める声も自民党からあがってはいます。
対して警察は、反発している。
しかしこれから増え続ける鹿によって、森林が食われれば日本の森はどうなるだろうか。
猟師の支配による「共存」か。
不干渉による「共栄」か。
今でこそ問題は表面にでてこない(実際田舎は表面化している)が、
今後どうなっていくのだろうか。
猟師の立場は辛い。
こちらもオススメ。
ありがとうございました。
アメリカで殺人事件が多いのは日本やイギリスのように物理的に銃を規制していないからではないです。カナダやスイスではそれほど多くないですからね。
問題はお上を信用せず自分で身を護る権利を求める、自力救済の思想が強いことです。彼らは銃が完全に規制されたとしても今度は刃物で日本以上に殺人を行うでしょうし、刃物が禁止されても石を投げ合うようになるだけでしょう。
そして完全ではないにせよその自力救済の思想を弱めたのが豊臣秀吉や徳川綱吉なわけです。ですから、市民同士で不信を抱きささいなことで殺し合う社会を改善するのに大きく貢献したとは言えるはずです。