フリーランス農家のきしころ(@kagoshimato)です。
世間では鳥インフルエンザが少しづつ叫ばれていますね。愛知県名古屋市では東山動物園が鳥インフルエンザの影響で1ヶ月休園していましたし、岐阜県では死んだ鶏からウイルスが検出され8万羽もの鶏が殺処分されています。
参考
東山動植物園、動物園エリアなど休園 防疫体制強化へ:朝日新聞デジタル
鳥インフル:岐阜・山県の8万羽殺処分へ ウイルス検出で – 毎日新聞
僕自身猟師として活動する中で、そこそこ批判されたりすることもあるのでちょっと噛み砕いて行こうと思います。
人間のエゴを狩猟と家畜の観点から。
僕の生活スタイル
猟期はほぼ毎日銃で猟に行っています。野生の鹿や鶏を銃で殺し、自分で捌き食べています。出勤前の2、3時間ぐらい。早起きですよ。
そもそも殺す必要なんて無いんですよ。日本人の大多数がしている一般的な生活をしていれば。
スーパーにいけば「肉」として加工された鶏を始め「家畜」として生産された製品が並んでいます。この状態しか見たこと無い人は、鶏を生き物として見る視点がないと感じます。
生き物だという認識がないからこそ安易に僕を批判できるのだと思っています。鶏は「肉」であって「生き物」ではない。
生き物としての過程をこなさなければ肉にはなれないんですが、そこを見たくないのか「肉」の状態の鶏は鶏ではない。という認識を感じますね。
鶏=肉ではなく。肉になった鶏=肉という認識を感じます。僕からしたら鶏は生き物であり、肉でもあります。先程も言いましたが、殺さず肉になることはできません。
何故狩猟するのか
じゃあ何故僕がわざわざスーパーで肉を買わずに自分で殺すかというとこれにはいくつか理由があって
- 美味しい
- 捌きたい
- 森林を保護したい(鹿に食われまくるため)
- 作物を守りたい(猿とかね)
- ハンターの減少、高齢化
参考
農林水産省/全国の野生鳥獣による農作物被害状況について(平成26年度)
とかまあ便宜上いろいろ語れって言われたら語れるんですが、要は
エゴ
なんですよ。この時代に、わざわざ殺す必要のない鴨とかを銃で殺して食べてるわけですからね。
でも、家畜だって消費者のエゴなんじゃないの?っていうのがこの記事のハイライトです。
需要に答えるべくして大量生産され、スーパーに並んでいるわけです。
その結果、消費者の安全を守るために8万羽もの鶏が殺処分されたりしているわけですよ。生産者にとっては非常に辛いでしょうね。消費者は自分たちの為に8万羽の鶏が殺されたなんて1mmも思ってないでしょうね。
では、どういう生き方が幸せなのか
狩猟も、普通にスーパーに並んでいる肉を買うのもエゴだと書きました。僕はスーパーで肉を買うことはほとんどありませんが、否定はしません。
そこで肉を買うことが多くの人にとって普通の生活であり、僕も以前はスーパーで買ってましたから、現代において人間的な生活スタイルだと思います。
わざわざ人の生活スタイルに入る必要もない。狩猟をしないからって猟師の行動を頭っから批判したり、スーパーで肉を買ってる人をエゴイストだって責める必要もないんですよ。(後者はあまり居ないと思いますが。)
そんな暇があるなら、自分のエゴを追求した方がいいよって思います。僕が狩猟する鴨、より美味しい鴨の方が獲りたい様に、スーパーでいかに美味しいお肉を買うかに努めた方が幸せなのでは無いか?と思うわけです。
まとめ
誰だって、どこかで何かを線引している。その線引に口を出す必要はない。スーパーで肉を買う人もいれば、自分で猟をする僕の様な人。
かたや、ベジタリアンで肉を食べない人がいてそれぞれが成り立っている。それぞれが自分の線引で幸せなように、人の線引に口を出す必要はない。
ベジタリアンが「肉を食べるのは人間のエゴだ!」というのに対し、「じゃあ作物は生きていないんですか〜?」
と批判しあいも見苦しい、それぞれがこの社会の中で認められたエゴで生活しているのだから。
いかにエゴを公にし、生活できるかというのは幸せに繋がるのではないか?と思えてならない。
仕方ない事だけど殺処分とか聞くと辛い気持ちになります…
どうしても目を背けてしまいます>_< きしころさんは死と関わっていて凄いです
id:ayupoi さん
僕も以前はつらい気持ちというか、なんとも言えない気持ちでしたけど今はもう、この社会のサイクルだと思っていますね。
早く楽にしてあげなきゃ。と思って殺していますね。
初めはそうだったんですね^_^
早く楽にしてあげたいって気持ちは分かる気がします
狩猟はニホンオオカミを絶滅させた人間の義務では?