保健所で殺処分される犬を提供する焼肉店があってもいいのではないか

フリーランス農家のきしころ(@kagoshimato)です。

非常に過激なタイトルで
「何言ってんだこいつ頭大丈夫か?」と多くの人が思っていることだと思います。多く叫ばれる犬やネコの「殺処分」問題。年々殺処分される犬は減少を続けているが非常に多いのが現状です。

焼肉店で牛肉や豚肉を食べる際に感謝の気持ちを思い食べることはあるでしょうか?「いただきます」のひと言を言うのは作業になっていないでしょうか?

日本では飢餓に陥るほど食に困ることはほとんどありません。命を考える場所として「1つの提案」であり僕自身が経営したいとも思っていません。

僕の立場を示しておくと、猟師をしていて鹿や鴨を撃ち、殺し実際に食べています。しかし同時に猟犬を使って猟をすることもあり、実家ではペットとして犬を飼っています。犬を食べたことはないし今後も食べる気はありません。

殺処分される犬を提供する焼肉店

これに集約されている。「殺処分される犬のみを提供する焼肉店」があってもいいのではないか?という事です。理由を以下に書いていきます。

猟師をして認識した命の尊さ

食に感謝することは非常に大事だと、多くの方が認識していることだと思います。学校で「いただきます」をしない学校がないぐらい世間一般に「いただきます」は浸透しています。では、「いただきます」という事で本当に命に感謝し、肉や魚を食べている人はどの程度いるでしょうか?

いただきますが作業になってはいないでしょうか?僕は猟師になる前、作業になってました。言えばいい。という認識はなかったですが、本当に言ってるだけでした。スーパーに並ぶ肉になった動物は、当たり前ですが命を奪われています。その命を奪う瞬間に立ち会った時に動物への感謝というを再認識、いや、始めて認識しました。日本国民全員が鶏を捌くとか、牛を捌くとかそういう経験をするぐらい命を感じる経験はあってもいいと思っています。

でも、それは現実的じゃないんですよね。やりたくない人だっていますし、やる必要を感じない人だって多いはずです。じゃあ、命を感じれる「場所」として「犬」を提供する様な焼肉店があってもいいのでは?と思うのです。理由は以下。

犬の年間処分件数

環境省の行った平成27年度の調査によれば、46,649頭保健所に持ち込まれた犬のうち、15,811頭が処分1年間に殺処分されている。なぜこんなにも尊い命が失われているか?と少し補足すると、46,649頭持ち込まれた犬のうち、6,462頭(役14%)の犬が飼い主から引き取られている。つまり飼育放棄だろう。どんな理由があるかは知らないが、一度ペットとして飼った犬の飼育放棄をする人がいる。

そして、誰でもペットを飼える環境が整っているこの日本では、ペット産業は一大ビジネスであり、ペットを欲しがる飼い主、つまり「消費者」の招いた結果であることは言い逃れできないだろう。まさに無駄死している犬がこんなにもいる。じゃあ有効活用してはどうだろうか?というのが僕の言いたいことだ。

ちなみに平成27年のネコの処分数は67,091頭となっている。

実際に出店する際のハードル

次に実際に出店する際のハードルを考えてみた。

消費者の心理的ハードル

日本には犬を食べる文化はない。ちなみに僕も犬を食べたこともないし犬肉を提供する焼肉店があっても行くことはないだろう。それほどまでに日本で犬は「ペット」として強く認識されており「食料」などという目線で犬を見ることはタブーとされるだろう。

犬やネコほど「ペット」として人間に近い距離で過ごす動物は他にもいないため、非常に嫌悪感を覚える人が多いだろう。これは誰でも容易に予測できることだと思う。

日本社会の反発

消費者の心理的ハードルと似ているが、全国民レベルで反発がありそうだ。「「速報」犬を提供する焼肉店出現!」みたいな感じでネットを中心に大炎上するのが見える。大多数の意見は

  • 犬が可哀想
  • 外道
  • わざわざ日本で食べる必要はない

 

などだろう。

殺処分される犬は食用ではない

一口に「犬食」といってもペットのような犬を食べているわけではない(と思う)。以前韓国人の方と話をしていた際に、韓国で食べられる犬には「食用」に開発をされていると伺った。殺処分される犬は基本的にペットとして品種改良されてきた犬種だと思われるため、食用に向いていないのでは?という問題も出てくる。

保健所の許可

詳しく調べていないが、日本の飲食店で犬を提供するお店はごくわずかだろう。恐らくそれらの肉も国内産ではなく犬食をする国で加工された犬を仕入れて提供しているのだと思われる。犬肉に対する厚労省のガイドラインも僕は目にしたことがない。

まとめ

韓国では実際に犬を食用で食べている。これは事実だ。これに関しては海外の文化であり僕はどうこういう問題ではないと思っている。僕ら日本人が鯨を捕獲し食べているように、踊り食いをしている事を忘れてはいけない。その文化を持たない国の人には野蛮に見えるかもしれない。

犬は性格や大きさが人間に都合がよく、ペットとして改良が進んだけ結果今では「家族」として飼い主に癒やしを与え、共に過ごしているこの現状だ。しかし、そういったペット文化の一方で殺処分される犬がいるのも忘れて事も忘れてはいけない。対処方の1つとして、現実性のない案をとりとめのない言葉で綴ったのは分かっている。しかし、命を感じられるような場所がもっと身近にあってもいいのではないか?と私は思ったのだ。

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1 個のコメント

  • 食用、食用じゃないというのはあるのだろうか?
    韓国で問題になっているのはその「と殺の仕方」ググってみればわかるが、それはなるべく残酷にならないようにする必要があると思う。
    倫理的な事は置いておいて、食肉にするのに特化した場所に運ぶとか様々なハードルはありますが、食べる事は賛成です。
    でも同時に殺処分そのものが無くなって欲しいと願っています。

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